2024年3月15日金曜日

台湾版仮面ライダーV3

日本での仮面ライダーの人気絶頂期だった1970年代前半からアジアへ輸出され各国で放送され人気を博していた。1974年、その人気を受け、台湾の映画会社「東星電影」のプロデューサー王東海は来日し東映と仮面ライダーの2本の映画製作を契約する(その後1作増えて全3本となったとの事なので恐らく契約時はまだ「5人ライダー対キングダーク」公開前だったのかもしれない)。台湾版仮面ライダーは現地では「閃電騎士」のタイトルで仮面ライダーのアクションシーンなどを流用し役者の演技部分は台湾の役者で置き換え現地の言葉で演技する、という、のちのパワーレンジャーと同様のスタイルのリブート作品となっている。当時の海外での仮面ライダーというとタイのチャイヨープロダクションが製作した「ハヌマーンと五人の仮面ライダー」も知られているが、こちらは映画「五人ライダー対キングダーク」のタイでの配給権の契約を元に勝手に改作した異色作となっている(製作の経緯に関しては造詣が深くない為、相違がある部分があるかもしれない事をお断りします。)
さて、話を閃電騎士の戻すと製作は契約の翌年の1975年2月、生田スタジオではまだ仮面ライダーストロンガー製作中の時期から監督として東映の塚田正煕氏とエキスプロの八木功氏が渡台したそうだ(*"怪獣とヒーローを創った男たち"著:特撮映画研究会 八木氏のインタビューより)。また、造形師の若狭新一氏の証言によれば殺陣師に大野剣友会の池田力也氏と中村祐氏が参加、仕上げ仮面ライダーシリーズを手がけた映広音響(現:映広)が行ったそうだ(構成/文筆家の金田益美氏:談)。これらオリジナルと違わないスタッフが参加した現地撮影パートは過去作品アクションシーンから引用された映像と違和感なく編集されており、台湾人俳優に置き換えられてはいるもののカット割り、殺陣のタイミング、劇伴やSEと生田純度の高い映像として仕上がっている。それら作品が権利関係で現在どのような状況にあるかは分からず、クリアな映像で観ることは叶わないがご興味あれば是非ご覧頂きたい。
本ブログでは閃電騎士シリーズを生田スタジオ存続中に制作された正統な系譜と考え、可能な限り現地ロケ地を紐解いていこうと思う。
出典:閃電騎士V3 東星電影 1975年11月11日台湾公開


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